1匹のさめの自由帳

人生で大切にしたいこと、覚えておきたいことなどを記録するためのブログです。

さめの元気がない

ひさしぶりのブログです。

 

大きな出来事があって、疲れてたんです。

 

まあそれも終わったんですけど、

なんだろ、意識がぼーぜんとしてて

何もやる気がなくなってしまったし

 

周りから見てわかるくらいに元気がない

さめ自身もそれはわかっている

 

人の話がとてもどうでもいいし

心配されること自体もイラつきの原因で

とにかく一人で休みたくて、休日は引きこもっている

 

自分に異変が起きているのはわかっているのに

どうしたらいいのかわからなくて

 

そろそろ家族にも見放されるころかな

友達の存在も恋人の存在も今はうざったくて

 

はやく元に戻りたいのに

疲れてしまったのかなと思うので

このブログを書いた後、いろいろ試そうと思う

 

ぱっと思いついたのが、そもそもブログだった

今の自分の考えていること可視化してみようと

 

次は、部屋の掃除

とっちらかっているのはわかっているけど

動線さえ確保できていればいいかなとか思っている

山積みの服、ぐちゃぐちゃのタンス、ほこり、すごい

 

あと、自分のケアみたいな

ムダ毛もどうでもよくなって放置しているし

爪もきたない、体型は最悪、髪はばさばさしてるし

 

部屋にものが多くて、使っていないものもどうにかしたい

 

自分の異変も、周りによくない影響与えてることも

部屋の汚さもわかっているのに、

どうしてもできないのはなんでだろう。

 

あとちょっとした運動・・・ストレッチとかそんなん

 

tっていうか

元気になろうとしてることすらストレスだな

と思っているさめです。

人生ってしんどいですね。

 

 

習慣づけとさめ

試験が終わりました、さめです。

 

なんだかんだ、半年くらいかな。

じわじわと勉強続けることが出来た。

 

 

で、今日から。いつもは勉強していた時間。

やることなくなって。ブログ書いてる。

 

ぽっかり時間にわくが出来たので

明日からは別のことに使ってみようかと考えています。

 

やりかけだった英語の勉強や、

途中で挫折した筋トレ、マッサージ

今なら続けられる気がする

 

多分勉強よりはまし!やりたいことだし。

 

半分強制の資格勉強だったけど、

何かを続ける習慣づけ+時間の確保ができちゃった

なさめでした。

今と未来とさめ

省エネで生きたい、さめです。

 

最近、いい省エネ方法をみつけた!

未来について考えない!

 

ちょっと考えて、

「あっ考えてもいいことない」ってなったら

もうすぐ今に意識戻すようにする。

 

考えて不安になること~資格試験とかさあ

受からんかもしれないって腹痛めるより

今出来るだけ勉強した方がいろいろ良い気がしたし

 

未来のこと考えたって、結局どうなるかわかんないし

ずっと未来を意識していると生きてる実感がなくなる

 

未来と同じくらい、今の自分にも関心を持ちたい。

 

だから試験勉強しないと絶望が待っているとしても

さめは今日はもうだらだらする。

な、さめでした。

 

 

幸せになりたいさめ

何かを期待して行動するっていうのは、

メンタルによろしくないなあと思った。

 

期待したものが貰えなかった時がしんどいから。

 

重い女といっしょよね、

これだけ尽くしているんだから、一生愛してくれるよね?

みたいなやつ。で、離れていくやつ。

 

結局、自分のために何かするのが一番いいのかもしれない。

 

人は本当に、動きの予測が出来ない。

自分以外の人間に、何かを期待するほど、

近い未来の自分を苦しませることになる。

 

他人が、何かをしてくれると思わない方がいいや。

自分を幸せにしてあげられるのは自分だけだったね、

 

自分のために生きようと思ったさめでした。

 

 

たくさんの世界を股にかけるさめ

「場所」と「自分の評価」との関連について

今日思ったことがあった

 

学生時代は、成績とカースト順位(容姿とコミュ力)が

学校生活をそれなりに過ごせるかどうかの指標だった

 

だから

「成績と容姿、コミュ力」=自分の価値

という図式だった

 

大学生だと、就職先や恋人なども要素に加わってくる

「成績と容姿、コミュ力リア充、大企業への内定」=自分の価値

という図式になった

 

自分が長時間生活している空間での評価価値が

イコール自分の価値だと思っていたから、

 

この10数年間の図式が簡単に外れることもなく。

 

大学の次の空間は「会社」になった。

会社に所属すると、仕事の出来=自分の価値になる

 

仕事が上手くいかない自分には、価値がない。

 

具体的に言えば、

・会社にとって自分は必要じゃない

・教えてくれる上司のお荷物

という、自分への無能観に支配されていく。

 

長期間を同じ場所で過ごすから、

それが自分の人生上での自分の価値だと思い込みやすい。

 

けど、自分の行動範囲が広がると、

「会社での自分」のほかにも

 

「友達と遊んでいる自分」

「恋人といる自分」

「趣味に打ち込む自分」

「旅行をする自分」

・・・と、たくさんの「自分の世界」を

持っていたことに気が付く。

 

会社での自分は、

たくさんある自分の世界の1つにしか過ぎない。

 

その世界での評価が芳しくないからといって

自分の価値はまだまだ残っている。

 

友達と一緒に楽しめる自分、

恋人と上手く関係を保てている自分

趣味に精を出している自分

旅先で自由に動き回れる自分

 

会社で評価されないからって

自分自身に価値がないわけじゃない

 

友達を励ますことができた自分

恋人と幸せな時間を過ごせている自分

趣味で書いている小説に読者がついた自分

旅先でのトラブルに対応できた自分

 

いろいろな世界を持つことが大事

いられる世界が会社だけだと

本当に、仕事での評価=自分の価値になってしまう

 

所属先をたくさんつくろうと思うさめでした。

心と視界とさめ

鏡の汚れに気付くのは

いっつも「今日はそうじやろ」って時で、

 

足の爪が伸びているのに気付くのは

いっつも「あー綺麗になりてえ」って時で

 

「見よう」と思わないと見えないものって

すごい多いなって最近思った

 

例えば新宿南口に10秒立っていた後、

「歩きスマホしていた人は何人いたか」って

聞かれても絶対わからないんですよね

 

「人がいっぱいいるなあ」とか

「あいつマスクつけてないやん」とかくらいかな

立っていて思っていたのは。

 

意識して見るようにしたら、

いろんなヒントや気付きがあるなあと思うんですよ

 

通勤途中の同い年くらいの人のファッションとか

普段使っているカバンの汚れに気付いたり

ネイルのハゲとか思わぬムダ毛とか

帰り道の夜空の星がきれいだったり色々

 

でも、精神的に余裕がないとダメみたいで

 

最近は、机の上が散らかっていると思うのは休日の昼

ベッドの下のホコリボールに気付くのは休日の夜

何でこれ気にならなかったんだろうって、よく思う

 

生きててしんどかった時は何も気が付かなかったし

見た目も自分の将来も部屋も全て関心がなかったです

 

今は、いろいろなものに関心がある

自分に余裕を持たせるって大事だなと思うさめでした。

 

 

お金とさめ

今日、久しぶりに買い物に行った。

友達と、秋服やらコスメなんかを見に。

 

2か月に1回くらいの頻度で

そういった外出をしているんだけど、

今日はいつもと違うことがあった。

 

半日以上いて、使った金額は3,000円くらい。

いつもなら、1万~2万円は使うのに。

 

お金を使うことに慎重になっている。

本当に必要かどうかを考えて、

商品を手にとっては棚に戻した。

 

ネイル・・使いきれてないものが残っている

服・・昨年着ていた服を一度見直してから

エコバック・・1500円払うより袋買った方が安い

評価の高い新作コスメ・・似たものを持っている

美容によさそうなもの・・まずダイエットしよ

 

結局8時間いて買ったのは、

・今日でなくなるメイク落としの詰め替え

・そろそろなくなる寝ぐせ直しの詰め替え

・マッサージ用のオイル

 

必要な物し買わなかった。8時間いたのに。

けど気分はいい。必要な物だけ買ったぜ!って。

時間は使いすぎたけど。

 

自分の労働=自分のお金

適当なものに使いたくない。

 

お金を使う時は、そのメリットを考えたい。

自分のお金を払うのと同等、

またはそれ以上の見返りが、確かにあるのか。

 

 

ブランドものとかだと。

さめ自身、ブランドにはあまり興味がない。

ヴィトンのバッグを持ったところで

それが何の役に立つのかわからない。

 

友人たちは、いいな~って言ってくれるかも。

SNSの取り巻きも、褒めてくれるかも。

小汚いバッグよりかは、綺麗なものがいいけど。

安いものよりは、それなりのもののがいいけど。

 

でもそれが、ハイブランドである必要はない。

うん十万出して返ってくるメリットが

あまりに不確実、あまりに少ない。

 

そのブランドのデザインや使い心地を評価して

自分が気に入っているからっていうのは

とてもいいと思う。

 

でもそんな人、ほとんどいないだろう。

ハイブランドの類であれば、

それがヴィトンだろうがシャネルだろうが

何だっていいんだと思う。

 

だから、

バッグはヴィトン、飾りのスカーフはエルメス

財布はプラダ、靴はマルジェラ、

みたいなのがいっぱいいるんだなと思ってる。

 

きっとみんな、それが有名だからってくらい。

作った人の名前、国、きっと知らない。

 

そんなものによくお金使えるなあと

思ってるさめでした。